ファッションやビジュアルの世界で働くクリエイターってどんな人。デザインの仕事のやりがい記事を一日一個。
Category :
マンガ(漫画)
小学生の頃からマンガが好きで、マンガ家になりたいと思っていました。もちろんマンガはよく描いていましたが、本格的に学んだのは、本校に入学後です。入学して描き始めると同時に、出版社への投稿も始めました。プロデビューを果たしたのは投稿3回目です。実は私、1作目では少女マンガを描いたんです。その時はやる気もでず、イマイチで。2作目は方向転換してギャグマンガで勝負しました。そしたらコチラの方が私に合っていた、どんどん筆が進みましたね。3作目は先生の薦めもあり、ギャグマンガ詰に投稿。すると受賞しちやったんです。それがプロデビュー作となりました。授業でやった昔話のマンガを描く課題も作品のヒントになっています。今後は、単行本を出しアニメになるような作品を描きたいと思っています。
PR
Category :
マンガ(漫画)
実は私、この学校に入る前にイラストの専門学校に通ったんです。でも、そこを卒業するとき「やっぱりマンガやりたい!」って思った。母は反対でしたが、父は「やりたいことをやればいい」と許してくれた。嬉しかった反面、プレンシャーでしたね。そのぶん入学後は頑張りましたよ。1・2年では2本ずつ作品を仕上げ、3年の夏には幸運にもデビューも果たせました。ところがそれ以降はもっと大変で!毎日学校のラウンジでひたすら描きました。卒業時には連載を抱えており、上京の引越しの際には、新幹線でトーン貼ったりもして。プロとアマの違いは「スピード」と「緊張感」ですね。言い訳なしで、描けなかったらマンガ家生命も終わり。だからプロは描くしかない。隔週刊に追われる今、「もっとストーリー作りを学んでおけばよかった」と思う時がありますね。煮詰まるのはそこですから。夢?この連載をコミック10春分60話まで続けること、です!
Category :
マンガ(漫画)
小さな頃からマンガ家になる夢を持っていました。高校卒業時には美大も考えましたが、部活に明け暮れた僕には受験の壁は高かった。それにもまして、マンガ家をめざすなら一刻も早くデビューできなきや意味ない!って。その思いにせかされ、この学校へ入りました。初めてマンガを仕上げたときのことは忘れられません。絵はそんなに上手くなかったけど、得意のプロット(筋書き)が先生の目に留まった。夏休み中は毎日、描いた作品を持っては登校し、先生方にアドバイスをもらい、また描き直しての繰り返し。投稿する時も先生が出版社選びまでサポートしてくれました。そして講談社の『ヤングマガジン』でいきなり月間新人漫画奨励賞。今考えれば、「人一倍努力した」とほめてくれた先生のほうが、数段一生懸命だった。ありがたいですよね。卒業後には大スランプも経験しました。が、なんとか「週刊少年サンデー」でデビューを実現。僕を支えてくれた同級生、そして先生方に大感謝!!です。
Category :
グラフィックデザイン
ブランディング&デザインコンサルティング分野での世界的企業、Landor Associates lntemational Limitedでデザイン・ディレクターとして活躍する清水さん。同社はサンフランシスコに本社を置き、日本でも200社以上の大手企業をクライアントに持つ。これまで手掛けた作品は森永乳業、Konamiのパッケージ・ロゴデザインなど、企業イメージを形成するデザインワーク全体の指揮を執ってきた。「入学当初は雑誌編集を専攻していました。しかし、本校講師でもあるグラフィックデザイナー篠塚先生の講義を受けその面白さに魅了されて、この仕事を目指し始めました」。早い段階で自分の方向性を見極められたぶん、回り道せずに必要なキャリアが積めたと言う。プロの現場で行われる商品のマーケティング分析を経てコンセプトを設計、企画書を作成し、その後デザインに取り掛かるというプロセスは、在学中に企業プロジェクトや卒業制作で教わったことと変わりません。学校で学んだことこそ基本であり、いかに大切かを実感しています」。
Category :
グラフィックデザイン
在学中、業界研修やデザイン会社での仕事も経験した三嶋さん。「ニューヨークに行くと決めました。日本での将来がイメージできなかった」。自分で選択したことなら失敗も納得できると決断した。アメリカのビザは3ヵ月間。2週間だけ8人部屋の宿をとりました、残りどうするつもりだったんだろ?」。アートとは何ぞや?何かやらねば!そんな漠然とした思いから、ソーホーの道端で絵を描き売ったりもしたそうだ。周囲の反対を押し切って来た分、手ぶらでは帰れない、その危機感も大きかったという。「ニューヨークのアートは、凄い!の一言です。かっこいいし面白い。反面、広告は僕にはイマイチだった」。そのニューヨークで現在の会社代表と知り合い、帰国後は東京へ。「いま感じるのは、世界一かっこいいデザインをやっているのは東京だということ。パリでもロンドンでもニューヨークでもない。あのアメリカでの経験が僕の原点でした。自由な発想も表現も発信も不可能じゃない、って思えるんですよ」。
リンク
忍者ポイント
ブログ内検索
最新記事
(02/25)
(02/25)
(02/25)
(02/25)
(02/25)
最新コメント
カテゴリー
アーカイブ
最古記事
(03/24)
(03/25)
(03/26)
(03/27)
(03/28)
アクセス解析